問題となるのは、GPSを対象車両に装着、その行動確認をおこなう捜査手法である。
日本では警察の内規により無令状でおこなわれている(参照 「GPS捜査 全国で運用 警察庁が要領通達 監視対象車に設置」
http://ceron.jp/url/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014123002000097.html)。
既にアメリカ合衆国最高裁では令状が必要だという判断が出されている(参考 「米最高裁、令状なしのGPS追跡は違憲と判断」
http://japan.cnet.com/news/society/35013385/)。
※ なお、以下はメモ書きであり、論文等への引用はお控えいただきたい。
GPSを用いた捜査の有用性は疑いないところだが、問題は、その実施をまったく警察の判断だけに任せておこなうことの可否である。警察検察の立場は、これが「任意捜査」として令状なく実施できるというもの。これに対して、学説の多くは「強制捜査」であると捉え、令状が必要と説く。
とりあえず、現段階で日本でこの論点に触れた下級審裁判例が二つあるので、紹介し批判的コメントを付けておきたい。
【①判例】
平成26年3月5日福岡地裁判決(公刊物未登載、LEX/DB番号25503382)
覚せい剤取締法違反事件について起訴された被告人の、別件の窃盗被疑事件についてGPSを被告人車両に無断で取り付けていたことが違法捜査として争われた。
裁判所は、次の理由で別件捜査のGPS利用を本件の職務質問、その後の任意同行手続、任意採尿手続と「関連性」がないとして、GPS端末取り付け捜査手法には「種々の問題があるとする」弁護人の指摘に「傾聴に値する部分が多々含まれている」と肯定的に述べつつ、覚せい剤事件の捜査に関連性がないため証拠排除に結びつかない、と判示している。
【②判例】
平成27年1月27日大阪地裁決定(公刊物未登載)
共犯者らとおこなった4件の窃盗、建造物侵入被告事件について起訴された被告人について、警察が被告人らを逮捕できたにもかかわらず、あえて泳がせて平成25年5月23日頃から長期にわたってGPS装置を車両に取り付けて位置情報を取得していた、という事件である。弁護側は違法収集証拠であるとして証拠排除を争った。
裁判所は以下の理由から、弁護側の主張を排斥し証拠排除をおこなわないとの決定をしている。すなわち、1)GPS位置情報の取得が、捜査官が携帯電話によってアクセスした時におおまかに住所が表示されるに過ぎないこと(時間的制限と取得情報の範囲)、2)状況によって数百メートルの誤差があったこと(機能的制限)、3)記録性がなく捜査メモに残していただけであったこと(記録性の否定)、からプライバシー侵害の程度が大きいものではなく、強制処分には当たらない、というのである。他方で、行動確認の必要性が高かったこと、尾行では追跡が困難であったことからGPS利用の必要性が高かったこと、発信器が車外に取り付けられていて傷などが付いていないこと、公道上の記録であるから第三者の権利侵害もなかったことから方法の相当性あるものと認められるとして、任意捜査として適法であるとの判断をおこなった。
【コメント】
①判例は、起訴事実の証拠にGPSによる情報が結びついていないとして、関連性を否定し正面からGPS利用捜査の適法性を判断しなかった。それに対して②判例は、日本で初めてGPS利用捜査の適法性を承認した点で重要な意味を持つ。
だが、②決定の示したプライバシー侵害の判断基準には、今後の位置情報プライバシー問題を検討する上での課題をよく示していると思われるので、以下にコメントしておきたい。
同決定は、強制処分性の有無をもっぱらプライバシー侵害の重大性に求めている。これは、平成21年の無令状による承諾のない配送物エックス線検査に関する最高裁判例を踏まえてのものと思われる。
物理的浸襲や肖像権侵害を伴わない技術的情報取得型捜査に当たっては正当な判断基準であろう。 ところが、伝統的なプライバシー概念(放っておいてもらう=干渉されない権利)では侵害の有無を適切に判断することは難しい。 自己情報コントロールという新しいアプローチがあるが、それも本件のように無断でGPS発信装置を取り付けられた場合には応用困難だ。
たしかに、一時的に公共空間での人の位置情報を把握するのはプライバシー侵害とは言いにくい。 駅前でAさんを見かけた、山手線にBさんが乗っていた、渋谷のスクランブルでCさんとすれ違った、等々、こうした場面でプライバシー侵害があるとは確かに言えない。 だが、Aさんが駅前からx病院まで行ったとか、Bさんが山手線を降りて宗教法人Yに入っていったとか、Cさんが渋谷の法律事務所Zを訪ねたとかいった情報まで容易に取得されるとしたらどうであろうか。
GPS装置は、一時的な位置情報取得のみならず、長期間にわたって細かい行動記録が取得できる。更に、コンピュータを使って膨大なデータとして保存、利用可能である。 これを裁判官の令状審査を経ずに取得できるとするなら、その対象の選定の適法性、実施理由、実施期間の相当性等についてどのように適法性を担保しうるのか。 本件ではたまたま証拠調べ請求されたから裁判所の目に触れただけであり、必ずGPS利用捜査の適法性について法的評価を得られるわけではない。 実際、愛知県では起訴もなかったケースが発覚、自車に無断取り付けされた人が損害賠償請求訴訟を起こしている(参考
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201412/2014121900390)。
②決定は、GPS利用捜査のもたらす危険性について、事案の事実関係から認められることがなかったとして否定的に解して、プライバシー侵害が小さいと判断している。 そうなると、いったい何処で線引きをされることになるのだろうか。これでは、事前規制すら出来ないGPS利用捜査に対する法的規制を放棄してしまうことになる。たまたま本件で法益侵害が小さかったからと言って、処分の性質が強制処分でなくなる、というのは一般規範と具体的事実とを混同した発想である。
他方で、弁護側の主張が十分なものであったかどうか、疑問もなくはない。 たとえば、公共空間において警察に行動を監視されることが、プライバシーのいかなる侵害となるのかを説得的に主張しえたのか。 結局、人には誰にもその移動や所在場所を把握されることなく生活する権利、をプライバシーの保護領域に含ませることが出来るような理屈が必要となるはずだが、その点の議論が尽くされていたのか。
先に触れた米国の最高裁判決で法廷意見は、GPS装置の装着が「物理的侵害」で「捜索」に当たる、と解して令状を必要とした。 たしかに車両への装置の装着だけに着目すると、日本の憲法35条でも保護されている「住居の不可侵」を侵害した、と言えるだろう。 だが、GPS利用捜査の問題の本質は、装着場所の問題ではない。むしろ位置情報取得の法的性質こそが核心的論点であり、この問題についてまだ学界でも十分な議論はなされていない。
この点、情報法領域では既に先行して議論がされてきた。 たとえば、ダニエル・ソローブは、『プライバシー新理論』(みすず書房、2012)の中で、公共空間におけるプライバシーの保護の必要を訴えている。たとえ公道上や公共空間において他人の視線に晒されている場合であっても、われわれはプライバシーの期待を有する、という考え方である。 これをクリストファー・スロボギン教授は、名著"Privacy at Risk" (2007)の中で「公的な匿名性(public anonymity)」と呼んでいる。
管理人は、米国最高裁の法廷意見が採ったような思考を「物理的侵害論」と呼んで、スロボギンのような新しい思考を「公的プライバシー論」と呼んで、区別しておきたい。 従来のプライバシー論は「秘密性」の暴露が基準だったが、この基準は「私的プライバシー論」とでも呼べる性格を持っていた。 だが、われわれは、私的=秘密性をもはや基準としているわけにはいかない程、深刻なテクノロジーが進化・普及した社会に生きている。
こうした新しいアプローチを用いない限り、テクノロジーの発展で脅かされるプライバシーの領域を保護していくことは困難であろう。そうした課題を法学界に突き付けた事案であったと言えよう。 理論が裁判実務に貢献する必要が大きい。 ちょうど、最近の報道では、携帯GPSによる位置情報を捜査機関に提供することに関するガイドラインを改正する動きが見られる。 こうした動きの問題を理解する上でも、更なる理論構築が必要となってくるはずだ(参考 「携帯GPS捜査 緩和 総務省、6月にも指針改正」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015040302000154.html)。
以上