ワシントン・ポスト紙に先週、ショッキングな記事が掲載された。
I’m a public defender. It’s impossible for me to do a good job representing my clients.
https://www.washingtonpost.com/opinions/our-public-defender-system-isnt-just-broken--its-unconstitutional/2015/09/03/aadf2b6c-519b-11e5-9812-92d5948a40f8_story.html
タイトルの意味は、「わたしは公設弁護人事務所の弁護士だが、もはや依頼人に対してきちんとした弁護を提供することはできない」というもの。
著者はルイジアナ州のある公設弁護人事務所(公費によって運営され、貧困者に刑事弁護をおこなう公営の弁護士事務所である)に勤務する弁護士。
要するに、運営費が乏しくてまともな刑事弁護なんか出来ませんよ〜、何とかしないと誤判えん罪の山になりますよ〜、ということである。
彼の場合は、全米基準では年間150件(これでも日本の水準から言っても信じられない数だが)が限度とされているのに、何とその倍の300件(!)も年間に処理しなければならないそうだ。 つまり依頼人にまともに話しなんか
聞いてられない、法廷ではじめて会ってそれで有罪答弁をするかどうかとか決めなければならない、という(まあ日本でもそうした手抜き弁護は横行していたんだけど)。
専門家のあいだでは周知の事実だったが、一般紙にこうした告発・自虐記事が出るのは珍しい。
既に、アメリカの刑事事件における公的弁護制度が立ち行かなくなっている事態については何度も、多くのセクターが警告を繰り返している。
そして実際に、発覚した誤判えん罪事件を調べてみると、ずさんな手抜き弁護が明らかになっていて、その原因は被告人が貧しくて公設弁護人しか頼めず、その弁護人が忙し過ぎて十分な弁護を提供しなかった、ということ
が相当多いことがわかっている。
このことは対岸の火事ではない。
米国と同様、日本でも憲法で弁護人の援助を受ける権利は保障されているが、最高裁は「弁護人が付いていればそれでオッケー」としか言っていないので、質的保障は憲法上も解釈上もない。「効果的」で「十分な」弁護の提供を受けられなくても裁判所は気にしません、という態度である。
こんにちの日本の刑事弁護の実情がそうだというわけではないが、弁護士界があまり声高に主張しない(なぜならそれは己に向ける刃だから)論点だけに見過ごされがちだ。 再審無罪となった複数の事件を検証してみると、米国同様に一審の弁護がダメダメだったケースはいくらでもある。
そういう意味で刑事弁護の質的保障問題は(米国で今後どれだけ改善されるかは見ものであるが)、日本にとっても非常に重要な課題であることはいくら強調してもし足りないだろう。
PS
英語が読める方は是非米国の実情を知らせる最新の論文に挑戦してもらいたい。
The Public Defender Crisis in America: Gideon, the War on Drugs and the Fight for Equality
http://repository.law.miami.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1029&context=umrsjlr