一昨日の最高検による「一部」取調録画制度導入をめぐってマスコミの反応も分かれている。
気になるのは、可視化(取調録画録音)の導入への「新しい捜査手法」導入というバーター論議だ。
産経は、
「取り調べの全面可視化を導入している英国やイタリア、豪州、米国の一部の州では、併せて司法取引や通信傍受なども認めている。司法取引とは、被告人が共犯者を告発したり捜査に協力することを条件に、刑を軽減するなどの捜査手法のことだ。」
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110225/trl11022502480001-n1.htm
とする。
読売も、
「今後、取り調べの可視化をさらに広げる方向で議論する場合は、罪を認めれば刑を軽減する司法取引や、おとり捜査など、新たな捜査手法の検討も欠かせない。」
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110224-OYT1T01128.htm?from=y10
とする。
まず、これらの指摘・主張は今回の厚労相局長無罪事件(村木事件)を契機に始まった「検討会議」のミッションを忘れた議論の仕方である。
そして、日本に「司法取引」や「おとり捜査」がないから「導入すべき」という論は前提を誤っている。いずれも法制化されていないことは事実だが実態を見て考えるべきだ。むしろ我が国では法律がないだけ野放しで規制もないまま行われているといっていいぐらいだ。
起訴前の段階で事実上の「取引」がなされているのは各種の実態調査や判例から明らかだし、取調官からも検事からも「●●すればxxしてやる」といった類の交換条件の提示は頻繁になされている。
「おとり捜査」に至っては、司法試験の重要論点であるので、数的な実態は不明確ながら捜査で用いられていることは明かだ。 つい最近も下記のような判断が裁判所で出されたばかりだ。
新聞記者がそんなことを知らないで捜査や司法の記事を書いているとしたら無知というほかないし、知りながらであるとすると、国民を意図的にミスリードするような論調という他ない。
【参考】
おとり捜査損賠訴訟:福岡高裁、佐賀県の控訴棄却
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110204ddm012040045000c.html