8月3日、東京高裁で今市事件の控訴審判決が出された。報道の通り、一審の裁判員裁判で取調べを(一部)記録した映像記録媒体が再生されたことを批判し、映像に基づく心証形成について手続違背を認めた。
判決要旨の抜粋は末尾にあるので参照していただきたいが、裁判員のみならず職業裁判官であってもそうした記録媒体の再生から受ける影響は免れない、という(先行研究が示した)視点を踏まえている点が重要だ。
この問題は刑事訴訟法的には「実質証拠化」問題と呼ばれ、法と心理学の世界では「映像バイアス」あるいはより専門的には「カメラ・パースペクティブ・バイアス(CPB)」などと呼ばれる。
刑事裁判でこうした取調べ映像を事実認定者(陪審員や裁判員といった素人だけではなく職業裁判官にも)に見せてしまうと、無意識のうちに「有罪心証」が植えつけられてしまうという危険性を、心理実験で明らかにしたのが、ダニエル・ラシター教授(オハイオ大学)らのチームであった。
最初に日本の法律系雑誌にこの研究を紹介し、実質証拠化の危険に警鐘を鳴らしたのが2008年、ちょうど10年前であった(指宿信「取調べ録画制度における映像インパクトと手続法的抑制策の検討」判例時報1995号3頁(2008)。のちに拙著『被疑者取調べ録画制度の最前線 可視化をめぐる法と諸科学』(2016)に収録。目次のみ
ここで見ることができる。)。
法と心理学の研究としては、これまで供述分析(自白研究)や目撃証言研究、裁判員の評議研究といったテーマが実務上のインパクトをリードしていたが、ようやく映像バイアス研究も日本の法実務で正面から取り上げられることとなった。
法と心理学を中心とした学際研究プロジェクト「法と人間科学」(日本学術振興会・新学術領域平成23〜27年度
http://www.jslp.jp/law-human/index.html)でも「可視化班」として研究を重ねてきたこの問題がようやく社会に注目されることとなった。学問の社会還元という点では誠に喜ばしい(研究班については以下を参照いただきたい。指宿、稲田、中島「取調べとその可視化」
http://www.jslp.jp/law-human/assets/files/cyuukannhyouka/23.Ibusuki.pdf)
国内で私が関係した2つの心理系のチームがラシター研究を追試しており、論文をオンラインで読むことができる。
■若林、小松、指宿、サトウ
「録画された自白 : 日本独自の取調べ録画形式が裁判員の判断に与える影響」
法と心理12巻1号(2012)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlawpsychology/12/1/12_KJ00008995205/_article/-char/ja/
■山崎、山田、指宿「取調べ手法とカメラアングルの組み合わせが事実認定に与える影響についての予備的実験」
立命館大学人間科学研究35号(2017)
http://r-cube.ritsumei.ac.jp/repo/repository/rcube/7955/gl_35_yamasaki.pdf昨年12月に東京で行われた、私も登壇した「取調べ映像の実質証拠化」をめぐるシンポジウムが最近書籍化されているので、最新の刊行物として紹介しておく。
牧野・小池編著「取調べのビデオ録画ーその撮り方と証拠化」
http://www.seibundoh.co.jp/shoten/search/032967.html第一審判決に対する当方の判例評釈もオンライン上で読むことができる。法学的な問題はこちらに網羅されている。
取調べの録音録画記録を公判廷で長時間再生の上、映像記録中の被告人の供述態度や供述変遷から自白供述について十分に信用できるとした事案
http://lex.lawlibrary.jp/commentary/pdf/z18817009-00-081081488_tkc.pdf判決前の調査報道としては以下の記事が詳しい。
産経新聞
■裁判員制度9年 取り調べ録画の印象「判断に影響」 撮影方向の見直し論高まる
https://www.sankei.com/affairs/news/180521/afr1805210003-n1.html判決後、各紙の社説は揃ってこの警告を重要視する。
朝日新聞■社説 取り調べ録画 原点に立ち戻る運用を
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13624875.html
毎日新聞■社説 法廷と取り調べ映像 「印象有罪」の制御が必要だ
https://mainichi.jp/articles/20180807/ddm/005/070/088000c
読売新聞■社説 取り調べ映像 有罪認定への使用を戒めた
https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20180807-OYT1T50120.html
北海道新聞■社説 取り調べ映像 可視化の目的 再認識を
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/216518
以下は、判決要旨の中から、該当部分の抜粋である。
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5 取調べの録音録画が記録媒体に関する所論について(要旨57頁〜)
(1) 原審においては、検察官から、取調べの録音録画記録媒体が犯行状況等を立証する証拠として請求されたことに対し、弁護人が疑問を示したことから、原裁判所は、罪体立証は供述調書を用いることとし、同記録媒体は供述調書の信用性の補助証拠と位置付けると提案し、双方当事者の了解を得た。
しかし、弁護人は、原判決には、信用性の補助証拠である取調べの録音録画記録媒体を犯罪事実の認定に用いた違法があると主張する。
(2) 原裁判所は意図的に取調べの録音録画記録媒体で犯罪事実を認定したものとは認められないが、原判決の判断内容をみると、同記録媒体により認められる被告人の供述態度に基づいて、被告人の犯人性を直接的に推認するものとなっている。
取調べの録音録画記録媒体を視聴し、その後に供述調書の朗読を行うという証拠調べ手続をすれば、裁判体は、記録媒体の視聴によって、被告人の供述内容を認識し、同時に、その際の被告人の供述態度等から供述の信用性を判断することになり、現実の心証形成は、記録媒体の視聴により直接的に行われるものと思われる。
原裁判所は、検察官から犯罪状況を立証するものとして請求された録音録画記録媒体について、弁護人の証拠意見を聴いて、証拠能力の判断をすべきであったもので、裁判所から、あたかも調停案であるかのようにして、実質証拠とする代わりに信用性の補助証拠とすることを提案すべき筋合いではなかった。
(3) さきに行われた刑訴法の一部改正は、改正規定の内容や取調べの録音録画の制度化が検討された経緯に照らしても、我が国における被疑者取調べの適正化を図るために行われたものと理解される。
他方、取調べの録音録画記録媒体により再現される取調べ中の被告人の様子を見て、自白供述の信用性を判断しようとすることには強い疑問がある。すなわち、原判決の内容からもうかがわれるように、記録媒体で再現される取調べ状況等を見て行う信用性の判断は、被告人の自白供述が自発的なものと認められるかどうか、というような単純な観点から結論を導くことにつながる危険性があるものと思われる。自己に不利益な虚偽の供述をするに至る契機としては様々なものが想定できるのであるから、取調べ状況をみて、取調官により強いられた供述か、それとも自発的な供述かといった二者択一的な判断をすることは、単純素朴に過ぎるものといえる。とりわけ、原判決のように、自発的であっても虚偽供述の可能性があることが、見落とされる危険性もある。
我が国における被疑者取調べ制度及び運用の下で、虚偽の自白がされる場合があることは、これまでの経験が示すところであるが、それにもかかわらず、捜査段階の自白供述は、その証明力が実際以上に強いものと評価される危険性があるものである。したがって、自白供述の信用性の判断に当たっては、供述が強いられたものでないことは当然の前提とした上で、さらに、秘密の暴露の有無、客観的な事実や他の証拠との整合性等、第三者にも検証可能な判断指標を重視した上で、内容の合理性、自然性等と併せ多角的に検討し、自白供述から適切な距離を保って、冷静に熟慮することが肝要と思われる。ところが、被疑者取調べの録音録画記録媒体を見て行う供述の信用性の評価は、供述が自発的なものかどうかという観点を出ない判断となる可能性があるし、それ以上の検討が行われるとしても、身柄を拘束された状態での被疑者取調べという特殊な環境下でされる自白供述について、これに過度に密着した状態の下で、映像と音声をもって再現される取調べ中の被告人の様子を視聴することにより、真実を述べているように見えるかどうかなどという、判断者の主観により左右される、印象に基づく直感的な判断となる可能性が否定できず、上記のような熟慮を行うことをむしろ阻害する影響があるのではないかとの懸念が否定できない。本件自白供述の信用性に関する原判決の判断には多くの問題が認められるが、本件各記録媒体を用いて実体的な判断を行ったことも、その誤りを生じた要因の一つと考えられる。
(4) 以上のように、多くの考慮すべき事柄があるにもかかわらず、原裁判所は、疑問のある手続経過によって、本件各記録媒体を供述の信用性の補助証拠として採用し、それにより再現された被告人の供述態度から直接的に被告人の犯人性を認定したものと認められ、原判決が信用性の補助証拠として採用した本件各記録媒体を犯罪事実の認定に用いたことの違法をいう弁護人の主張には理由がある。
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