3月31日、大津地方裁判所でいわゆる「湖東記念病院事件」の再審請求に対する無罪判決が言い渡された。周知のとおり、この事件は殺人罪で有罪とされた看護助手の罪がそもそも存在しなかった、つまり病死が殺人へと捻じ曲げられた恐るべき冤罪事件である。
警察は真相を解明する機関であると信じられているにもかかわらず、看護助手の女性から殺害の自白を引き出した。そして病死を示す証拠を隠したまま検察に事件を送致し、有罪となった後までずっとこれを隠し続けていた。ようやく女性の出所後の再審請求段階で死因が病死であることを示す証拠が開示されて再審が開始されることになり、検察側も争わない姿勢を示したので無罪判決が出された。
これまで、日本の刑事司法には問題がなく、大きな改革を必要としない、というのが度重なる近年の刑事司法改革を進める司法関係者や法務・検察の主張であった。郵便不正事件(村木事件)を端に始まった、2011年から14年にかけて開かれていた「新時代の刑事司法制度特別部会」と名打った法制審議会の検討でもそうした姿勢は貫徹されていた。その最中に足利事件や布川事件で再審無罪が言い渡されていたにもかかわらず、である。
だが、この湖東記念病院事件の教訓は山のようにある。
思いつくだけでも以下のような具合だ。
取調べに弁護人が立ち会っていないこと、
知的障害を持った被疑者に対する取調べに関する規制が何もないこと、
その取調べの手法も姑息で被疑者を誘引するようなテクニックが用いられていたこと、
死因の真相を示す情報が検事に送付されず、弁護人にも開示されていなかったこと、
客観証拠や事実と矛盾する自白を裁判官が鵜呑みにして有罪としてしまったこと、
再審請求に関する手続きが整備されておらず担当する裁判体まかせとされていること、
であろう。
そして何より、わが国の刑事司法の最大の欠陥は、こうした教訓が現れているにもかかわらず、誤判の原因を調査して対策を検討する公的機関が存在しないことである。
過ちを犯さない司法制度というのは有り得ない。もちろん過ちがない方が良いはずだが、実際には後から過誤が解ることは避けられない。
問題は、そうした場合にどう対応するか、である。日本にはそうした過誤に対応した体制が整えられていない。個々の事件の問題であると片付けられたり(上記特別部会での委員の発言)、過誤が明るみに出ても関係した警察や検察から遺憾であるとか、今後は繰り返さないよう襟をただす、といったような見解が示さるだけだ。
今回の無罪判決の後、いわゆる裁判長の「説諭」という形で裁判体から刑事司法関係者に改革を迫る珍しい発言がなされた。
・・・本件は、刑事司法全体に大きな問題を提起しました。平成21年に裁判員裁判が実施され、刑事裁判は大きく変わりつつありますが、刑事司法にはまだまだ改善の余地があります。警察、検察、弁護士、裁判官、すべての関係者が、今回の事件を人ごとに考えず、自分のこととして考え、改善に結びつけなければなりません。西山さんの15年を無駄にしてはなりません。本件は、よりよい刑事司法を実現する大きな原動力となる可能性を秘めています。
その趣旨は確かに正しい。
司法関係者は自分のこととして反省すべきであろう。
だが、誤判を繰り返さないようにするには、個人レベルの反省では十分ではないのだ。
システムとしての対応が必要である。
各国では誤判を教訓として改革が繰り返されている。
日本も直ちに裁判所、検察、弁護士会、警察を横断した改革を断行すべきである。
最後に、誤判事件を契機として2002年に刑事司法改革に取り組んだ米国ノースカロライナ州の当時の最高裁判所長官、ビバリー・レイク氏の言葉を紹介しておく。
・・・私たちが過ちを犯したのです。だから、過ちを犯したことがわかった時には、出来るだけすみやかにそうした過ちを正すことが私たちの責務なのです。
日本の刑事司法関係者にこの言葉はどう届くであろうか。
【参考文献】
『えん罪原因を調査せよ! 国会に第三者機関の設置を』
日弁連えん罪原因究明第三者機関ワーキンググループ編著
指宿 信 監修
誤判もえん罪も昔の話ではない。警察は、なぜ捜査を誤ったのか。検察は、なぜ捜査・公判で誤りを正せなかったのか。裁判所は、なぜ「疑わしきは罰せず」の鉄則を忘れて警察や検察に追随したのか。もはや裁判所を聖域にしてはおけない。問題に正面から向き合い、えん罪原因を究明する独立した第三者機関の必要性を多面的に訴える。