訃報:コレッタ・S・キングさん78歳=米キング牧師夫人
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/fu/news/20060201k0000m060131000c.html
米国のメディアの扱いは大きい。NYTimes紙は、「公民権運動のアイコン(象徴)」
だとし、シカゴ・トリビューン紙は、「公民権運動のチャンピオン」だとの見出し。
Coretta Scott King, a Civil Rights Icon, Dies at 78
http://www.nytimes.com/2006/02/01/national/01king.html
Coretta Scott King, 1927-2006
http://www.chicagotribune.com/news/custom/newsroom/chi-king-htmlflash,1,5698716.htmlstory
その生涯はそのまま公民権運動史のようであった。晩年は、キング牧師を記念
して建てられたセンターの運営をめぐるキング家内の対立などもあって不遇で
あったように見受けるが、それでも、米国のひとつの時代のシンボル的存在で
あり続けたことは間違いない。あれだけの巨人、キング牧師の遺志を受け継ぎ、
その活動を担い続け、更には自身も公民権運動の星となっていった。
わたし自身、米国に滞在中、直接彼女のスピーチを聞いたことがある。
ゲイ・ライト・ムーブメントのランチョン・パーティが、シカゴのヒルトン・ホテル(!)
のいちばん大きなボール・ルームで開かれたのに、ロー・スクールの教員に
誘われて参加したときのことである。 キー・ノートは、シカゴ市長夫人で、
郡の検事正もテーブルにいるなど、我が国ではちょっと考えられない
光景も珍しかったが、最後のゲスト・スピーカーが、コレッタ・キング夫人その人
であった。
まず、彼女の登壇の際に、全員が総立ちで歓迎の拍手をする。しばらく鳴り止ま
ないほど。
その後、会場はランチョンの騒々しさが嘘のように、公民権運動のシンボル
である彼女がこの場でどのような話しをするのか、静まりかえって待ち受けていた。
短いスピーチであったが、最後に、コレッタ夫人が、あの有名なキング牧師の
「私には夢がある」(ワシントン大行進の際のスピーチ)を引き合いにだし、
「もし、こんにち、彼がこの場に生きていたら、肌の色の違いや、宗教の違い
だけではなく、セクシャリティの違いも乗り越えて、共に自由を手にしようと言った
ことでしょう」と結んだのである。
満場が再度総立ちになり、割れんばかりの拍手と歓声が飛び交い、ひとびと
の興奮した声やフラッシュ・ライトがその場を覆い尽くした。
翌朝のトリビューン紙には、公民権運動とゲイ・ライト運動が手を結んだと
いう記事が掲載されていた。